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[情感空間] 一碗清湯蕎麥麵(一碗陽春麵)

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發表於 2013-8-16 23:20:00 |顯示全部樓層
蕎麥麵.jpg

文:[日]栗  良平

對於麵館來說,最忙的時候,要算是大年夜了。北海亭麵館(位於日本北海道札幌,譯者注)的這一天,也是從早就忙得不亦樂乎。

平時直到深夜十二點還很熱鬧的大街,大年夜晚上一過十點,就很寧靜了。北海亭麵館的顧客,此時也像是突然都失蹤了似的。

就在最後一位顧客出了門,店主要說關門打烊的時候,店門被咯吱咯吱地拉開了。一個女人帶著兩個孩子走了進來。六歲和十歲左右的兩個男孩子,一身嶄新的運動服。女人卻穿著不合時令的斜格子短大衣。

“歡迎光臨!”老板娘上前去招呼。

“啊……清湯蕎麥麵……一碗……可以嗎?”女人怯生生地問。 那兩個小男孩躲在媽媽的身後,也怯生生地望著老板娘。

“行啊,請,請這邊坐。”老板娘說著,領他們母子三人坐到靠近暖氣的二號桌,一邊向櫃台裏面喊著,“清湯蕎麥麵一碗!”

聽到喊聲的老板,抬頭瞥了他們三人一眼,應聲回答道:“好咧!清湯蕎麥麵一碗——”

案板上早就準備好了麵條,一堆堆像小山,一堆是一人份。老板抓起一堆麵,繼而又加了半堆,一起放進鍋裏。老板娘立刻領悟到,這是丈夫特意多給這母子三人的。

熱騰騰香噴噴的清湯蕎麥麵一上桌,母子三人立即圍著這碗麵,頭碰頭地吃了起來。

“真好吃啊!”哥哥說。

“媽媽也吃呀!”弟弟夾了一筷子麵,送到媽媽口中。

不一會,麵吃完了,付了150元錢。

“承蒙款待。”母子三人一起點頭謝過,出了店門。

“謝謝,祝你們過個好年!”老板和老板娘應聲答道。

過了新年的北海亭麵館,每天照樣忙忙碌碌。一年很快過去了,轉眼又是大年夜。

和以前的大年夜一樣,忙得不亦樂乎的這一天就要結束了。過了晚上十點,正想打烊,店門又被拉開了,一個女人帶著兩個男孩走了進來。

老板娘看那女人身上那件不合時令的斜格子短大衣,就想起去年大年夜最後那三位顧客。

“……這個……清湯蕎麥麵一碗……可以嗎?”

“請,請到裏邊坐,”老板娘又將他們帶到去年的那張二號桌,“清湯蕎麥麵一碗——” “好咧,清湯蕎麥麵一碗——”老板應聲回答著,並將已經熄滅的爐火重新點燃起來。

“喂,孩子他爹,給他們下三碗,好嗎?”

老板娘在老板耳邊輕聲說道。

“不行,如果這樣的話,他們也許會尷尬的。”

老板說著,抓了一份半的麵下了鍋。

桌上放著一碗清湯蕎麥麵,母子三人邊吃邊談著,櫃台裏的老板和老板娘也能聽到他們的聲音。

“真好吃……”

“今年又能吃到北海亭的清湯蕎麥麵了。”

“明年還能來吃就好了……”

吃完後,付了150元錢。老板娘對著他們的背影說道:“謝謝,祝你們過個好年!”

這一天,被這句說過幾十遍乃至幾百遍的祝福送走了。


生意日漸興隆的北海亭麵館,又迎來了第三個大年夜。

從九點半開始,老板和老板娘雖然誰都沒說什麼,但都顯得有點心神不定。十點剛過,雇工們下班走了,老板和老板娘立刻把墻上掛著的各種麵的價格牌一一翻了過來,趕緊寫好“清湯蕎麥麵150元”。其實,從當年夏天起,隨著物價的上漲,清湯蕎麥面的價格已經是200元一碗了。

二號桌上,在30分鐘以前,老板娘就已經擺好了“預約”的牌子。

到十點半,店裏已經沒有客人了,但老板和老板娘還在等候著那母子三人的到來。他們來了。哥哥穿著中學生的制服,弟弟穿著去年哥哥穿的那件略有些大的舊衣服,兄弟二人都長大了,有點認不出來了。母親還是穿著那件不合時令的有些退色的短大衣。

“歡迎光臨。”老板娘笑著迎上前去。

“……啊……清湯蕎麥麵兩碗……可以嗎?”母親怯生生地問。

“行,請,請裏邊坐!”

老板娘把他們領到二號桌,順手將桌上那塊預約牌藏了起來,對櫃台喊道:

“清湯蕎麥面兩碗!”

“好咧,清湯蕎麥麵兩碗——”

老板應聲答道,把三碗麵的分量放進鍋裏。

母子三人吃著兩碗清湯蕎麥麵,說著,笑著。

“大兒,淳兒,今天,媽媽我想要向你們道謝。”

“道謝?向我們?……為什麼?”

“你們也知道,你們的父親死於交通事故,生前欠下了八個人的錢。我把撫恤金全部還了債,還不夠的部分,就每月五萬元分期償還。”

“是呀,這些我們都知道。”

老板和老板娘在櫃台裏,一動不動地凝神聽著。

“剩下的債,本來約定到明年三月還清,可實際上,今天就可以全部還清了。”

“啊,這是真的嗎,媽媽?”

“是真的。大兒每天送報支持我,淳兒每天買菜燒飯幫我忙,所以我能夠安心工作。因為我努力工作,得到了公司的特別津貼,所以現在能夠全部還清債款。”

“好啊!媽媽,哥哥,從現在起,每天燒飯的事還是包給我了!”

“我也繼續送報。弟弟,我們一起努力吧!”

“謝謝,真是謝……謝……”

“我和弟弟也有一件事瞞著媽媽,今天可以說了。那是在十一月的一個星期天,我到弟弟學校去參加家長會。那時,弟弟已經藏了一封老師給媽媽的信……弟弟寫的作文如果被選為北海道的代表,就能參加全國的作文比賽。正因為這樣,家長會的那天,老師要弟弟自己朗讀這篇作文。老師的信如果給媽媽看了,媽媽一定會向公司請假,去聽弟弟朗讀作文,於是,弟弟就沒有把這封信交給媽媽。這事,我還是從弟弟的朋友那裏聽來的。所以,家長會那天,是我去了。”

“哦,是這樣……那後來呢?”

“老師出的作文題目是,‘你將來想成為怎樣的人’。全體學生都寫了,弟弟的題目是《一碗清湯蕎麥麵》,一聽這題目,我就知道寫的是北海亭麵館的事。當時我就想,弟弟這家伙,怎麼把這種難為情的事都寫出來了。

“作文寫的是,父親死於交通事故,留下一大筆債。媽媽每天從早到晚拼命工作,我去送早報和晚報……弟弟全寫了出來。接著又寫,十二月三十一日的晚上,母子三人吃一碗清湯蕎麥麵,非常好吃……三個人只買一碗清湯蕎麥麵,麵館的叔叔阿姨還是很熱情地接待我們,謝謝我們,還祝福我們過個好年。在弟弟聽來,那祝福的聲音分明是在對他說:不要低頭!加油啊!要好好活著!因此,弟弟長大成人後,想開一家日本第一的麵館,也要對顧客說:‘加油啊!’‘祝你幸福!’ ‘謝謝!’弟弟大聲地朗讀著作文……”

此刻,櫃台裏豎著耳朵,全神貫註聽母子三人說話的老板和老板娘不見了。在櫃台後麵,只見他們兩人面對面地蹲著,一條毛巾,各執一端,正在擦著奪眶而出的眼淚。

“作文朗讀完後,老師說:‘今天淳君的哥哥代替他母親來參加我們的家長會,現在我們請他來說幾句話……’”

“這時哥哥都說了些什麼?”

“因為突然被叫上去發言,一開始,我什麼也說不出……‘大家一直和我弟弟很要好,在此,我謝謝大家。弟弟每天要做晚飯,只能放棄興趣小組的活動,中途回家,我做哥哥的,感到很難為情。剛才,弟弟剛開始朗讀《一碗清湯蕎麥麵》的時候,我感到很丟臉,但是,當我看到弟弟激動地大聲朗讀的樣子,我心裏更感到羞愧。這時我想,決不能忘記媽媽買一碗清湯蕎麥麵的勇氣。我們兄弟二人一定要齊心協力,照顧好我們的媽媽!希望大家以後也能夠和我弟弟做好朋友。’我就說了這些……”

母子三人,靜靜地,互相握著手,良久。繼而又歡快地笑了起來。和去年相比,像是完全變了個模樣。

作為年夜飯的清湯蕎麥麵吃完了,付了300元。

“承蒙款待。”母子三人深深地低頭道謝,走出了店門。

“謝謝,祝你們過個好年!”

老板和老板娘大聲向他們祝福,目送他們遠去……


又是一年的大年夜降臨了。北海亭麵館裏,晚上九點一過,二號桌上又擺上了“預約”的牌子,等待著母子三人的到來。可是,這一天始終沒有看到他們三人的身影。

一年,又是一年,二號桌始終默默地等待著,可母子三人還是沒有出現。

北海亭麵館因為生意越來越興隆,店內重新進行了裝修。桌子椅子都換了新的,可二號桌卻依然如故,老板夫婦不但沒感到不協調,反而把二號桌安放在店堂的中央。

“為什麼把這張舊桌子放在店堂中央?”有的顧客感到奇怪。

於是,老板夫婦就把“一碗清湯蕎麥麵”的故事告訴他們。並說,這張桌子是一種對自己的激勵。而且,說不定哪天那母子三人還會來,這個時候,還想用這張桌子來迎接他們。

就這樣,二號桌被顧客們稱作“幸福的桌子”,二號桌的故事也在到處傳頌著。有人特意從老遠的地方趕來,有女學生,也有年輕的情侶,都要到二號桌吃一碗清湯蕎麥麵。二號桌也因此名聲大振。

時光流逝,年復一年。這一年的大年夜又來到了。

這時,北海亭麵館已經是這條街商會的主要成員,大年夜這天,親如家人的朋友、近鄰、同行,結束了一天的工作後,都來到北海亭,在北海亭吃了過年麵,聽著除夕夜的鐘聲,然後親朋好友聚集起來,一起到附近神社去燒香磕頭,以求神明保佑。這種情形,已經有五六年了。

今年的大年夜當然也不例外。九點半一過,以魚店老板夫婦捧著裝滿生魚片的大盤子進來為信號,平時的街坊好友三十多人,也都帶著酒菜,陸陸續續地會集到北海亭。店裏的氣氛一下子熱鬧起來。

知道二號桌由來的朋友們,嘴裏沒說什麼,可心裏都在想著,今年二號桌也許又要空等了吧?那塊“預約”的牌子,早已悄悄地放在了二號桌上。

狹窄的坐席之間,客人們一點一點地移動著身子坐下,有人還招呼著遲到的朋友。吃著麵,喝著酒,互相夾著菜。有人到櫃台裏去幫忙,有人隨意打開冰箱拿東西。十點半時,北海亭裏的熱鬧氣氛達到了高潮。什麼打折信息啦,海水浴場的艷遇啦,添了孫子之類的,店裏已是人聲鼎沸。就在這時,店門被咯吱咯吱地拉開了。人們都向門口望去,屋子裏突然靜了下來。

兩位西裝筆挺、手臂上搭著大衣的青年走了進來。這時,大夥才都松了口氣,隨著輕輕的嘆息聲,店裏又恢復了剛才的熱鬧。   
“真不湊巧,店裏已經坐滿了。”老板娘麵帶歉意說。

就在拒絕兩位青年的時候,一個身穿和服的女人,深深埋著頭走了進來,站在兩位青年的中間。 店裏的人們,一下子都屏住了呼吸,耳朵也豎起來了。

“啊……三碗清湯蕎麥麵,可以嗎?”穿和服的女人平靜地說。

聽到這話,老板娘的臉色一下子變了。十幾年前留在腦海中的母子三人的印象,和眼前這三人的形象重疊起來。

老板娘指著三位來客,目光和正在櫃台裏忙碌的丈夫的目光撞到一處。

“啊,啊……孩子他爹……”

面對著不知所措的老板娘,青年中的一位開口了。

“我們就是十四年前的大年夜,母子三人共吃一碗清湯蕎麥麵的顧客。那時,就是這一碗清湯蕎麥麵的鼓勵,使我們三人同心合力,度過了艱難的歲月。這以後,我們搬到母親的老家滋賀縣去了。

“我今年通過了國家醫生資格考試,現在在京都的大學醫院當實習醫生。明年四月,我將到劄幌的綜合醫院工作。還沒有開面館的弟弟,現在在京都的銀行裏工作。我和弟弟經過商量,計劃了這生平第一次奢侈行動。就這樣,今天我們母子三人,特意趕到劄幌的北海亭,想要麻煩你們煮三碗清湯蕎麥麵。”

邊聽邊點頭的老板夫婦,淚珠一串串地掉下來。

坐在門邊的蔬菜店老板,嘴裏含著一口麵聽了半天,直到這時才把麵咽下去,站起身來。

“喂喂!老板娘,你呆站在那裏幹什麼?這十年的每一個大年夜,你不是都準備好了迎接他們的到來嗎?快,快請他們入座,快!”
 
被蔬菜店老板用肩頭一撞,老板娘才清醒過來。

“歡……歡迎,請,請坐……孩子他爹,二號桌清湯蕎麥麵三碗——”

“好咧——清湯蕎麥麵三碗——”淚流滿面的丈夫差點應不出聲來。

店裏,突然爆發出一陣不約而同的歡呼聲和鼓掌聲。

店外,剛才還在紛紛揚揚飄著的雪花,此刻也停了。皚皚白雪映著明凈的窗子,那寫著“北海亭”的布簾子,在正月的清風中,搖著,飄著……



日文原文:一杯のかけ蕎麦

1989年に日本中で話題になった作品です。週刊誌で「(涙なしでは読めないので)他人がいない所で読んでください」として紹介され、民放TV各局が取り上げている最中、作家の不祥事のことが持ち上がって各局とも放送を止めてしまいました。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で作家が悪ければ作品も悪い、みたいでした。この作品を読んで、聞いた多くの人が流した涙は何だったのでしょう。
週刊誌掲載のものと、TVの口演録音を元にしていますので原作と同じではないかも知れません。
この物語は、今から15年ほど前の12月31日、札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。


これは大晦日に、「北海亭」という札幌の、ある蕎麦屋で起こったお話です。どの蕎麦屋にとっても、一番の書き入れ時は、大晦日です。
ここ「北海亭」でも、朝から晩までてんてこ舞いの大忙し。それでも、夜十時を過ぎた頃から、客は二、三人に減り、新たに入ってくる客もいなくなりました。
女将(おかみ)は、頃合を見はからって、根は優しいが、むっつりした顔の主人に代わって、従業員に大晦日の「金一封」と「年越しそば」を持たせて帰しました。
最後の客が帰り、店じまいの準備をしていると、入り口の戸が静かに開いて、季節外れの格子柄のハーフコートを着た女性が、揃いの新しいトレーニングウェアを着た六歳と十歳位の子供を連れて入ってきました。
「毎度、いらっしゃいませ。」
「あの・・・かけ蕎麦・・・一つだけ・・・お願いできますか?」
女の人はためらいながら言いました。後ろで二人の子供が不安そうにお母さんを見上げていました。
「あっ、えーと、いいですよ。どうぞ。」
女将は、三人をストーブに一番近いテーブルに案内すると、大きな声で厨房の夫に言いました。
「かけ一丁!」
三人をちらっと見て、
「あいよ、かけ一丁!」と答えて、夫は生そばひと玉半を鍋に入れました。生蕎麦ひと玉一人分。三人に気づかれないように、茹で上がったひと玉半を、丼に入れました。
数分後には、顔を寄せ合い、一杯のかけ蕎麦を食べている三人の話し声が、かすかに聞こえてきました。
「あー、おいしい!」兄がいいました。
「お母さんも食べなよ。」弟は、そば一本を母親の口元に持っていきました。
「ごちそうさまでした。おいしかったです。」
三人は、食べ終わると、150円払い、お辞儀をして帰って行きました。
「ありがとうございました。よいお年を!」
店主と女将は、声を合わせて言いました。
連日繁盛の蕎麦屋に、再び大晦日がやってきました。昨年よりも忙しい大晦日になりました。時計が十時を打ち、店じまいをしようとしていると、入口が開き、子供を二人連れた女の人が入って来ました。
女将は、女の人の格子柄のハーフコートを見て、去年の最後の客を思い出しました。
「あの・・・かけ蕎麦・・・一つだけ・・・お願いできますか?」
「あっ、いいですよ。どうぞこちらへ。」
女将は、去年三人が座ったテーブルに案内して、大きな声で夫に言いました
「かけ一丁!」
「あいよ、かけ一丁!」そして消したばかりのストーブに火を入れました。
「ねえ、お前さん、サービスして三人前出してやらない?」と妻は夫の耳元に囁きました。
「駄目だよ。そんなことしたら、かえって気を遣わせるじゃないか。」
「仏頂面(ぶっちょうづら)だけど、お前さんもいいとこあるね。」
ひと玉半の生蕎麦を茹でている夫を見て、妻は微笑みました。
夫は、いつものように黙って、ひと玉半のかけ蕎麦を出してやりました。
二人がカウンターの内と外に立っていると、かけ蕎麦を食べながら話している親子の会話が聞こえてきました。
「おいしいよ。」と兄。
「お母さん、また北海亭でおそば食べられたね。」と弟。
「来年も食べられるといいわね。」
三人は、食べ終わり、150円払って帰って行きました。
店主と女将は、その日何度も繰り返した同じ言葉を、三人にも言いました。
「ありがとうございました。よいお年を!」

翌年も蕎麦屋は大繁盛し、また大晦日がめぐって来ました。九時半を過ぎた頃から、北海亭の店主と女将は口数が少なくなり、何となく落ち着かなくなりました。
十時を過ぎて、店主は従業員を帰らせると、この夏値上げした、壁にかかったお品書きを一枚一枚ひっくり返しました。かけそば200円はかけそば150円に換わりました。二番テーブルには、すでに「予約席」の札が置いてあります。
十時半。あの三人、母親と二人の息子が、客がいなくなるのを待っていたかのように入って来ました。兄は学生服、弟は兄からのお下がりなのでしょう。少しだぶだぶのジャンバーを着ていました。母親は相変わらず、あの色あせた格子柄のハーフコートでした。
「今晩は、いらっしゃいませ。」女将は三人に微笑みました。
「あの・・・かけ蕎麦・・・二つ・・・お願いできますか?」
「あっ、勿論、いいですよ。どうぞこちらへ。」
女将は、あの二番テーブルに案内すると、さりげなく「予約席」の札をはずしました。そして大きな声で夫に言いました。
「かけ二丁!」
「あいよ、かけ二丁!」鍋に生そば三玉が入りました。
かけ蕎麦二杯を囲んで、楽しそうな笑い声が聞こえてきました。三人の会話は弾んでいるのでしょう。女将は夫と視線を交わすとニコッとしました。店主は、相変わらずの無愛想な顔で頷(うなず)きました。
「あのね、私、二人にお礼が言いたいの。」
「・・・お礼?・・・何のこと?」弟が尋ねました。
「実はね、死んだお父さんが起こした交通事故で八人もの人が怪我したでしょう。・・・保険だけでは足りなくて、お母さんは毎月五万円ずつ返していたの。」
「知ってるよ。」兄が答えました。店主と女将は、身動きもせずにじっと聴いていました。
「支払い期限は来年の三月だけど、今日全部払い終えたの。」
「わー、本当?お母さん。」兄が言いました。
「本当よ。淳は毎日買い物をして、夕ご飯を作ってくれてたわね。お兄ちゃんは朝刊と夕刊の新聞配達をしてくれてた。二人のおかげで、お母さんは何の心配もなく働くことができたのよ。ボーナスが出て、借金を全部返せたの。」
「お母さん、すごい!よかったね。でもこれからも僕が夕ご飯作るよ。」弟は言いました。
「僕も新聞配達続けるよ。淳、頑張ろうな!」
「ありがとう、ありがとね。本当に!」
「あのね、僕達、お母さんに秘密にしておいたことがあるんだ。淳と僕の二人の秘密・・・それはね・・・淳の担任の先生からのお知らせ、覚えてる?11月の日曜日の授業参観の通知・・・あの日、淳は、もう一通お母さん宛の手紙を預かってきたんだ。・・・その手紙には、淳の作文が、北海道代表として全国作文コンクールに入選したこと、参観日にみんなの前で淳に、その作文を読んでもらうこと、などが書いてあったんだ。淳は、お母さんにわかると、仕事を休むだろう、と思って手紙を隠したんだって。でも、淳の友達が、そのことを僕に話してくれたもんだから・・・だから・・・僕がお母さんの代わりに授業参観に行ってきたの。」
「まあ・・・そう・・・それで?」
「先生は、『大きくなったらどんな仕事をしたいか』という作文を、クラスのみんなに書かせたんだ。淳の作文の題は、『一杯のかけ蕎麦』。そこまで話すと、先生は、淳に作文を読ませたんだ。僕は『北海亭』のことだな、とピンときたけど、何であんな恥かしいことを書いたんだろう、と思った。
淳は、お父さんが事故で死んだこと、借金が一杯あること、お母さんが朝から晩まで働いていること、僕が新聞配達をしていること・・・全部読み上げたよ。
それから、大晦日の夜、三人で一杯のかけ蕎麦を食べたこと・・・お蕎麦がおいしかったこと。三人で一杯のかけ蕎麦でも・・・お店の人は大きな声で、『ありがとうございました。よいお年を!』と言ってくれたこと。その声が、『負けるな!がんばれ!くじけるな!』と言ってるように聞こえたこと。
そして最後に、淳は大きな声で読んだんだ。・・・大きくなったら、お蕎麦屋さんになって、お客さんに、『頑張ってね。お幸せに!』って大きな声で言ってあげたいんです。・・・ってね。」
蕎麦屋の店主と女将は、カウンターの後ろで聞いていましたが、しゃがみこみ、一本のタオルの両端を引き合い、涙をふいていました。
「淳が作文を読み終えると、先生が『淳君のお母さんの代わりにお兄さんが来ていますので、ちょっと話をしてもらいたいと思います。』って言ったんだ。」
「まあ、それでどうしたの?」
「突然のことで、最初、何を言ったらいいかわからなかったけど、・・・皆さん・・・淳と仲良くしてくれてありがとう・・・淳は毎日、夕ご飯を作ってくれます。だから、クラブ活動の途中で家に帰らなくてはならないので、迷惑をかけていると思います。弟が『一杯のかけ蕎麦』を読み始めた時は、僕は恥ずかしく思いました。
でも、淳が作文を、堂々と大声で読んでいるのを聞いているうちに、一杯のかけ蕎麦を恥ずかしいと思う、僕の心の方が、もっと恥ずかしいことなんだって気づいたのです。・・・僕は、あの日、一杯のかけ蕎麦を注文した、お母さんの勇気を思いました。・・・淳と僕は仲良くしてお母さんを助けていきます。みんなも淳と仲良くして下さい、って言ったんだ。」
母と子は、楽しそうに年越し蕎麦を食べました。しんみりとお互いの手を取り合ったり、笑いころげて肩をたたきあったり・・・前の年とは全く違った雰囲気でした。
「ごちそうさまでした。おいしかったです。」と言うと、300円払い、深々と頭を下げて出て行きました。
店主と女将は、その年最後の三人の客を、大きな声で送りだしました。
「ありがとうございました。よいお年を!」

また一年が過ぎました・・・北海亭では、九時半を過ぎると、二番テーブルに「予約席」の札が置かれました。でもあの母親と二人の息子は現れませんでした。次の年も、その次の年も、三人のために二番テーブルを用意しましたが、三人は現れませんでした。
北海亭は改装され、新しいテーブルとイスに入れ替わりましたが、古びた二番テーブルとイスは昔のままに、新しいものに囲まれるように置いてありました。
「何だって、こんなところに古いテーブルとイスが置いてあるんですか?」
と不思議がる客もいました。店主と女将(おかみ)は「一杯のかけ蕎麦」の由来(ゆらい)を語り、この古いテーブルでどんなに励まされたか、三人がいつの日かやって来たら、このテーブルに座ってもらうのだ、と付け加えました。
「幸せのテーブル」の話は口コミで広まっていきました。実際その評判のテーブルで蕎麦を食べようと遠い所からやって来た女子校生や、「幸せのテーブル」が空くのを待って注文し直す若いカップルもいました。
数年が過ぎたある大晦日、家族同様の付き合いの店主の友人たちが仕事を終えて、次から次へと集まって来ました。
彼らにとっては、この数年来続いている年中行事でした。北海亭で、除夜の鐘を聞きながら、年越し蕎麦を食べて、仲間とその家族全員で最寄りの神社に詣でるというものでした。
九時半を過ぎ、刺し身の大皿を持って入って来た魚屋夫婦を皮切りに、三十人以上の友人たちが酒やおつまみを持ってやって来ました。店内は一気に賑(にぎ)やかになりました。
「二番テーブル」のことは誰もが知っていましたが、あの三人が今年も来ていないことは口にしませんでした。「予約席」が空いていても、誰も座らず、テーブルのそばの狭い座敷に、肩を寄せ合って座り、後から来る人のために、スペースを作っておきました。
十時過ぎ、宴はたけなわになりました。飲んだり食べたりする人、店主の料理の手伝いをしたり、冷蔵庫から何かを取り出したりする人、年末大売り出しのこと、夏に海水浴に行ったこと、孫ができたことなどを話している人、など、など・・・・。その時、入り口の戸が開きました。みんな、話を止めました。入口に目を向ける人もいました。
ジャケット姿の二人の若者が、手にコートを持って、蕎麦屋に入って来ました。溜息とともに、宴の喧騒がもとに戻りました。女将が、「すみませんが満席なので・・・・。」と二人に丁重にお断りしようとした時、着物姿の婦人が入ってきて二人の間に立ちました。みんな固唾(かたず)をのんで、耳をそばだてました。
「あの・・・かけ蕎麦・・・三つ・・・お願いできますか?」
女将は、その声を聞いてはっとしました。決して忘れられないあの記憶―――十数年前店に来た、母親と二人の息子―――が蘇りました。
女将の視線は、驚きのあまり、目を見開(みひら)いている夫と、今やって来たばかりの三人の間を、行ったり来たりしました。
「あっ・・・えーと・・・そちら・・・そちらさまは・・・」女将はとまどいながら言いました。
若者の一人が答えました。
「私たちは十四年前の大晦日に、ここで一杯のかけ蕎麦を三人で食べた母子(おやこ)です。一杯のかけ蕎麦に勇気づけられ、おかげで、三人で何とか助け合いやって来ました。その後、母の実家の滋賀県に移りましたが、今年、私は医師国家試験に合格し、研修医として京都大学付属病院で働いています。そして来年の4月からは札幌総合病院で勤務することになっています。今回、病院関係者との最初の打ち合わせと、父親の墓前報告を兼ねて札幌に来ました。弟は、蕎麦屋さんにはなりませんでしたが、京都の銀行に勤めております。人生で最高の贅沢・・・大晦日に母と一緒に北海亭に行って、かけ蕎麦を三つ注文する、ということを弟と計画しました。
若者の話を頷(うなづ)きながら聞く店主と女将の目には涙が溢(あふ)れてきました。
入口近くのテーブルで蕎麦を啜(すす)っていた八百屋のおやじさんは、蕎麦をゴクッと飲み込むと、立ち上がりました。
「よう、お二人さん!何をもたもたしているんだよ。十年間、大晦日の十時に来る予約席のお客を待っていたんだろ。ついに来たんだよ。お客さんをテーブルに通しなよ!」
女将は、八百屋のおやじさんの肩を叩くと、気を落ち着けて、大きな声で言いました。
「いらっしゃいませ!お待ちしておりました。こちらへどうぞ。二番テーブル、かけ三丁!」
「あいよ、かけ三丁!」
店主は、いつもの無愛想な顔を涙で濡らして答えました。
蕎麦屋では、突如として一斉に拍手と喝采が湧き起こりました。
外では、ちょっと前まで降っていた粉雪も止み、新雪に映える北海亭の暖簾(のれん)が元旦の風に揺れていました。
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